何かを受け取ったらありがとうと言える人たちなのだ。兄姉の娘たちにせよつれの甥にせよ、あまり親しくない仲で相談もどきというのは、信頼とか掴みたい藁、光への窓口というより、侮りも含んだ甘えなのだろう。緩んだ頭を叱咤して趣意をつかみ、自分なりにやうやう切り口なり視点を変えるべくものがたりに努めるわけだが、その努力なにするものかは、最初と同じことを力説され、いや私もその気持ちはわからぬでもない、というわけで、言葉をかえて繰り返す。そして、お気に召さず梨の礫となったりする。
或る無意識は何かを護ろうとする。人が時間を割くこととかひとがひとを思うとかいう事実をすこんと目隠ししてしまう。
これはナニカセダイテキなものなのか欠落の正味も知らず欠落の存在を言うことの無力を思っても凶器を思っても、新しい機会にはまた繰り返しそうなロウバナココロだ。